さらに。些細な生活

そのうちなんとか。

なにしているやら。

自分の不甲斐なさが悔しいと言えばあたかもそれだけなにかがんばってもみたかのように聞こえるけど、実のところあまりもの自分のどうしようもなさをどうにかしようがんばろうなんて気持ちすらない体たらく。

 

なんていい年をして今更悠長にいじけてる場合ではなく、またしても飛行機に乗り遅れそうになる今月のフクオカ行。最近とにかくいろいろしくじり倒しているけど、早朝に関して空港行きのバスの予約忘れたらだめだわ。

財布にかなりの負担のリカバリでともかくは間に合ったはいいけど、実家についたらなんでか会計士さんがアポの時間間違えて先に着いちゃってたりで実家で印出して渡すつもりの書類の用意も間に合わずで、もうなにやってんでしょうか。いや悪いのは一重に自分なんだけども。

 

夜は夜でハハと従妹のサークル的ななにかの打ち上げとかに部外者なのに同行して、でも多少の相槌や愛想笑い以上に場に馴染もうという努力も一切放棄、失礼にならない(たぶん)ぎりぎりの線でその場をやりすごす。

その場の誰が気に食わないとかそういうことは一切なくて、もしその場で一番いけ好かないのがいるとしたらそれはまず誰でもない自分。

 

だめな自分をどうにか取り繕う気力もないほどにいろんなことがぼろぼろ下降していくときは、ただただ抗わずぼろぼろ崩れるに任せる。放っておいてもそのうちまた取り繕おうと悪足掻きし始めるだろうことはわかってるもん自分のことだし。

 

NHK「この声を君に」を初めて観た。セットの古臭い感じとか役者さんの服の野暮ったさとか、そこはテレビですもの野暮ったく見せながら実はセンスよくまとめてあって、朗読される作品のチョイスもいちいち小憎らしいくらいで。

こういうときはそれこそ声に出して読むように、お湯にゆったり浸かるように、閉じこもって本を読むのが一番効くんだよね、なんてまんまとドラマに乗せられて思ってしまったり。

 

ヒトに会ったり会話を楽しんだりをいつでもこなせるようなオトナの社会性も結局は獲得できなかったな、なんて。それはそれでしかたないけど。