さらに。些細な生活

なんとか、しようと。

けったいなものがたり。

ところで山村美紗作品に限らずだけど、京都が舞台の作品で登場人物が京都弁を使う、使わないの区別になにか法則性はあるんだろうか。

とりあえず主役はしゃべらないことになってるよね。科捜研も京都地検も葬儀社も。

 

本日の、読了本。

受賞作、それも直後のを買って読むとか、これまでしたことないんだけど、「こういうテーマの作品読みたい」なんて書いてたら、時代はちょっとずれてるんだけどかなり近い題材で、びっくりしたもんで。

 そういえば今年5月の国立劇場文楽公演は妹背山を通しだったの、結局行かなかったのが悔やまれる。それでなくとも5月はあちこち遊びすぎた挙句に突発性難聴起こしてたから仕方ないんだけど。

 

初めてこの作品を観たのは数年前の平成中村座で若手が勉強会として演じたもの。女形をやるなら一度は演じてみたい役と後の座談会でもみんな口々に言ってたけど、自分の好きな男を追っかけて他所の家まで入り込んだ挙句に意地悪官女たちに散々いたぶられた上に、その好きな男の大望を果たすとか言われて殺されるの、正直なんなのこの話?って感じだった。男も男だけど、このお三輪のすることも軽率が過ぎるだろって。

その後また歌舞伎座で「杉酒屋」「道行恋苧環」までのお三輪を七之助、「三笠山御殿」からを玉三郎という配役で。七之助さんのお三輪のやきもち焼きで軽率なところがむしろかわいらしくて、そりゃ玉三郎さんは見たいけど最後まで七之助さんでもいいんじゃないかと思ったくらいだけど、玉三郎お三輪が花道から登場すると観客全員がいっせいに息を飲んで歌舞伎座真空になったかと思ったくらい、やっぱ玉三郎は別格でしたわ。

その後「吉野川」で玉三郎定高を観たのは、これはTVだったかと思う。

なんというかこの「妹背山婦女庭訓」という作品、回を重ねて見ればみるほど、得体の知れないところが。

忠臣蔵のおかるでも思ったけど、わりと浅はかだし軽率ではあるんだけど、そういうどこにでもいる女子だからこそ見るヒトのココロにその存在がじわじわと残る、そんな感じ。

 

と、さっきから小説の話でなくて「妹背山婦女庭訓」という演目そのものの話になってしまっているが。

「なんでわし、こないにけったいな浄瑠璃買いたんやったかいな。」

小説終盤にふいと出てくる一行が、たまらなくいい。

小説としてのサビの部分はもう少し前の、主人公近松半二のみならず操浄瑠璃や歌舞伎作者、演者、小屋に関わるヒトビトの思念が混然一体となって作品がつながっていくところではあるけれど。

次の機会にこの演目で文楽公演があれば何をおいても行かなくちゃ、と思った次第。