さらに。些細な生活

なんとか、しようと。

いまは遠い海。

f:id:hx2:20190715062837j:plain …はるみです。

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別に、ふてくされてるワケじゃなかとです。でも一応ね、ウチの警備を一任されてるこの僕の了承って常識としてそれが筋ってもんと思うとですよ。…って博多弁伝染って、なんかいらつくー。

 

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そうたい…ってあたしまで博多弁あてるのやめりぃよ。…てだからぁ。いらつくー。

とまぁとにかく先住カップルご機嫌ななめ。

ただ、おかしいのがね。2匹ともしゃーって威嚇するんだけど、新入りの方でなく自分らが回れ右でその場を立ち去るっていう。実は小心者の、でかい2匹。新人の方威嚇されてもその場微動だにせず。

 

まぁ気長に慣らすしかない。

 

 

今週のお題「海」

先週はたいして残業してないけど、4連勤の最後の日曜が通し番の翌日フクオカ日帰りはさすがに疲労

ただ、こないだからの掃除への情熱の火を、ここで絶やしてはよくない、と、午前中いっぱいかけてジナンのアルバムを仕上げてしまう。

しかし保育園卒業して小学校に入ると愕然と極端に写真を嫌うようになったから数が激減、中学生以降は進級のクラス写真に修学旅行の写真くらいで数えるほど。

 

で、小さかった頃は一応せっせと年に1回くらいは海に連れてったことも、写真の整理しながら思い出したりで。

ムスコたち初めての海は、葛西臨海公園。泳ぐとこじゃないけど、もう孵化した亀の子かってくらい水際を狂喜して這ってたなぁ(まだ立てるようになる少し前だった)。

春に父が亡くなって、長めにフクオカに帰った初盆の夏は1人で2人抱えてフェリーで能古島にも連れて行った。体力的によくやれたなと振り返ると思ったり。

三浦海岸も何度も行った。ウチは車ないから電車で行けるところが基本。コドモがバイクの後ろに乗れるようになってからは、大洗にも行った。もはや海水浴ではなく、そこからまたフェリーで苫小牧行って、北海道ツーリングも何年か毎年続けたけど、その頃の写真はほぼ1枚もない。写真撮る余裕ないような、そんな旅というか時期。自分が好きだったのは道東ルートで、羅臼とか、行ける機会があるのならまた行きたい。

 

イモウトが乳がんの手術すんで落ち着いた頃、みんなで記念にとイモウトが言い出して車椅子の従兄弟も連れてハハとイモウト一家とウチとでハワイにも行った。それが一番遠出した海。英語を話すのが自分1人で、車椅子含む10人の食事場所を探すのに毎回かなり疲れた記憶ばかりだけど、あのときがほんとに最初で最後って機会だった。

 

それから5年くらいたっただろうか。祖母が亡くなった春先、法事ばっかりでなんだし急に出かけようかという話になってハハとイモウトや姪たち、ムスコたちと能古島まで出かけた。フェリーでハハがコドモの頃島にいた親戚を訪ねて毎年来たという話をしてた。その頃は辺り一面菜の花の時期。島の土産物屋で乾燥わかめを「これねぇちゃんお土産」とイモウトが渡してくれたみたいなどうでもいいことなんでか覚えてて。

その頃のイモウト、イヌの散歩ついでにポスティングのバイトして、ムスメ2人の習い事の送り迎えって、なんかヘンなもんキメてんじゃないかってくらい元気いっぱいにしてたんだけど(別にフツーに主婦ってそんなもんか?)、それから2ヶ月して肺に転移が見つかって、夏、姪2人の1学期の終業式を待つようにその夜亡くなった。その年はあっという間の春から夏だった。

当時中学生と小学生の姪2人ともウチのムスコたちとは違い、ちゃんと就職して元気いっぱいにしてて、いくつまでコドモと一緒に過ごすかどうかは関係ないという典型的な見本のようなことになっている。

カレンダーに「海の日」とあると、そろそと命日だなぁと思い出すんだけど、命日の日そのものをハハもワタシもちゃんと覚えていないっていう。イモウトも含め、そういうかなりいい加減さが強いDNA。

 

今となっては自分も周りも誰も海に行きたいとも言わないけど、それでもカゾクの記憶のあちこちに海があって、それなりには懐かしい。

 

これで残る写真の整理はオットとチョウナンの分だけど、この作業もさすがに飽きてきた。8月前半くらいを目途に、つらくならない範囲で(すでにちょっとつらい)ぼちぼち続ける。