さらに。些細な生活

なんとか、しようと。

クリスマスツリーがゴルゴタまでの一里塚、かどうかは知らねど。

おとといの教会は初めて行ったのでよくは知らないのだけど、これまで通っていたところは修道会のカラーというか、「クリスマスに贈られた幼子が、罪の贖いとして十字架につけられるためであるということも頭においてこの日のことを考えなくてはいけません」とか、一休禅師並みのシニカルな神父さまもいらしたりで、自分としてはむしろそういう言葉があったからこそ、でもある。

神さまは全能だけど、それに対して欠点や限界や痛みを持つ人間だからこそ、限りのある命に意味があるのだそうだ。

 

難しいことは自分もよく分からないのでさておき。

 

猫には嫌なところがまったくない

猫には嫌なところがまったくない

 

  

この気持ちを言葉にするのが難しいけれど、ただ、死ぬことはそんなに悪いものではないということは分かる。死期が近づいているものに、あるいは死んでしまったものに対して可哀想だと嘆く気持ちは生きているものの自惚れに他ならないし、失礼なことだ。死んでなにが悪いのだろう。死後の世界が有るとか無いとか、たとえばそれがあったとして、そこがここより悪いなんて誰が言えるんだろう。悲しいのは、これまで簡単に触れ合えていたあのふわふわの感触が消えたことだけなのだから自分勝手な悲しみだ。

(『世界は』)

 

 

この本で、この章だけがまったくトーンが違うのだけど、この文章のことは覚えておきたくて。

「株式会社家族」もそうだけど、このヒトの書くモノはでたらめなようでいて、大事なところを決して外さない。ふざけているように見えてもいつもぐっと切なくなってしまう。

自分はこれほど確固たるもののがないからなんちゃってでキリシタン、それもいざなんかあれば5分ともたずに転ぶであろうやつになり果てたけど。

死後の世界がここより悪いと誰も言えないのと同時に、ここよりよいという保証だってないんだから、自殺という手段でラクにはなれない。それこそそういうのは神さまに任せて、生かされているものは苦しかろうがみっともなかろうがとにかく生きていくしかないんじゃないかともまた。

とりあえず、書き留めたので今日は寝る。