さらに。些細な生活

なんとか、しようと。

生きてるだけで、大仕事。

まだ11月上旬だけど今年はもう炬燵出しても罰はあたらないのでは?と思えるような冬の入り。

今日も手あぶり火鉢にうってつけの冷え込みなのだけど、今日の休みはそれどころでなく出歩く用事に費やす。

 

シゴトの方は、まだまだ何かと周りに後れをとって迷惑かけてる自覚はあるから自分的には時間も体力もそっちに注力しているのだけど、なんか昨日は思いがけないところでお叱りを受ける。

おとといはおとといで別の人に一方的に言い負かされるみたいに話終わってちょっともやもや。

どっちもそれは自分にとっては上職位にあたる人たちで、でもどっちも結局は別の場所にもっと根深い軋轢があって、その鬱屈に後付けに理屈をのっけてこっちにぶつけてきてるのを言われながら感じてるからこそ、カイシャですものこれも給料のうちぐらいに思って敢えて言われっぱなし。言い返す気じゃ言えないことはなくても、八つ当たりを八つ当たりと指摘してそれをすぐ改めてくれるようなら、そういう人は最初から八つ当たりはしてこない。

うちのカイシャだけではないだろうけど、下にいても上に上がっても感情労働的な部分がほとんどで、みんな自分を守ることで精いっぱいなのだ。

そういう場所で空気読んでうまく立ち回れなかった自分がよくない。ただ、もうこれ以上どうにかしてうまくやろうって気力すらほとんど薄れつつあるのをどうしたもんか。

 

自動車事故や火災で子供の命が目の前で失われてしまうとか。あるいはある日川原なんかで冷たく一人息絶えていたり、あるいは誰かを息絶えさせてしまう方にいたり。もしくはめでたく成人して仕事にも就いて働きはじめたはずが、自ら命を絶ってしまうほど身も心もすり減らしてしまったり。

そういういたたまれない話を耳にするにつけ。

ムスコが一向に自活しそうな気配がなかろうと、またその親の自分自身が全然社会に適応できていなかったとしても、そんなこと実はどうだっていいのかもしれないとか思ったりしてしまう。